声明:Statement 確かに目には映っている、しかし触れる事の出来ない虚無感。 私はそれを映像の中に感じた。 暗い空間の中に映像をプロジェクションする。プロジェクションされた映像は光となって暗い空間に存在する。しかし触れることは出来ず、全身でその光を受け止めても感じることはない。映像の中ではさまざまな物語や問題が描かれ見ている者たちに訴える。訴えは光になり映像の世界が目に映る。例え、その訴えを聞いて感情に変化が起ころうとも映像は私達を置き去りにしてまだ訴え続ける。そんな映像と観る者との関係がすれ違う。しかし確実に互いは存在する。


Statement   Surely it is reflected in the eyes. However, a sense of emptiness that one cannot touch. I felt it in the video image. Play the video projection in a dark space. The image projected on a screen becomes the light, floating in a dark space. One is unable to touch it, even if the whole body could take the light, it could not be felt. In video image, various stories and problems appeals to those who are watching. Appeals became light: image of the world is reflected in the eyes. For example, even if appeals make us too emotional the video image will continue to make it appeals forever. The relationship between video image and the viewer it may pass by one another. However, they unmistakably exist together.


何かを作ろうとするいう事は、それはすでに偶然ではなく必然になっている。 目的は見つけ、それに合う形状を探し求める。それは偶然なのでない。 この作品は、生物の根源的な生命活動を表す。力や暴力性、破壊などを連想させる石器は男性性、種は命、そして種を育む土は女性性の象徴である。 アナログとデジタル、人と物など、1つの作品の中に存在する異なる2つの概念が、混ざり合っているようで完全に混ざり合わず共存する姿。 また木や土と言った素材は、誰もが日常の中で目にするものであり、それは個々の価値観を通して認識される。鑑賞者の価値観と私の価値観を作品上で引き合わせ、混ざり合わずに共存させる。2つの価値観の摩擦から生じた歪さは、調和と違和感を同時に作り出し、それは時として共通認識を可視化させ、人々の思考、思想のメタファーになるものであると考えている。